「三十六計逃げるが勝ち」の出どころを調べたら孫子ではなかった


締め切りから逃げ出したくなったとき、頭に浮かぶ決まり文句があります。「三十六計逃げるが勝ち」。逃げることを正当化してくれる、ありがたい言葉です。ところが先日、ふと手が止まりました。これは誰の言葉なのでしょう。兵法めいた響きから、筆者はなんとなく『孫子』だと思い込んでいましたが、確かめたことは一度もありません。調べてみると、たどり着いたのは孫子より千年ほど後の、しかもかなり意地の悪い一言でした。

この言葉の出どころは『孫子』ではなく、5世紀末の出来事を記した中国の歴史書『南斉書』です。

出どころは、逃げる皇帝父子への皮肉だった

国語辞典の多くは、このことわざの出典を正史『南史』の王敬則伝に求めています※1。同じ場面は『南斉書』の王敬則伝にも載っており、原文が確認できます※2。意外なのはその中身で、前向きな処世訓ではなく、逃げ支度をする皇帝父子に投げつけられた皮肉でした。

5世紀の終わり、南斉の武将・王敬則が反乱を起こしました※1。反乱軍が迫っていると聞いた宮中では、皇太子が慌てて逃げ支度を始めます。それを伝え聞いた王敬則が放ったのが、この一言です。

檀公三十六策、走是上計。汝父子唯應急走耳。

(檀公の三十六策は、逃げるのが最上の策。おまえたち父子は、ただ急いで逃げるのがせいぜいだ) :『南斉書』巻二十六・王敬則伝※2

要するに「あの檀公さまの兵法でも、逃げるのが一番の策だそうだ。あんたたちにできるのは、それくらいだろう」という嘲りです。日本大百科全書によれば、この言葉はもともと敵前逃亡する者をなじるものであり、日本に入ってから「逃げるのが得策」という前向きな意味に転じたといいます※1。褒め言葉だと思って使っていた決まり文句の生まれが悪口だったとは、少し落ち着かない気分になります。

「檀公」は撤退戦の名人だった

皮肉の中に出てくる「檀公」とは、南朝宋(劉宋)の名将・檀道済のことです※3。なぜ彼が引き合いに出されたのか。手がかりは、撤退戦にまつわる有名な故事にありました。

『南史』檀道済伝には「道濟夜唱籌量沙、以所餘少米散其上」という一節があります※3。魏軍との戦いで兵糧が尽き、軍が動揺したとき、檀道済は夜のうちに砂を米に見立てて量らせ、数を大声で唱えさせて、わずかに残った本物の米をその上に撒いたのです。敵の目には兵糧がまだ十分あるように映り、檀道済は軍を保ったまま撤退に成功します。この故事は「唱籌量沙」という成語になっており、漢典の語釈では「偽りの状況を作り出して敵を欺くこと」とされています※3。

つまり王敬則の一言は、「逃げ上手」として知られた名将の看板を借りた嫌味だったわけです。ところが言葉というのは面白いもので、この嫌味はやがて独り歩きを始めます。宋代の書物『冷斎夜話』には「三十六計、走るを上計となす」の形で見えることが、四字熟語辞典に記されています※4。皮肉が生き延びて教訓になる。千五百年前の悪口をわたしたちが毎日使っていると思うと、なんだか愉快でもあります。

孫子は「逃げ」をどう扱っているのか

では、本家『孫子』はどうなのでしょう。先に述べたとおり、『孫子』の本文に「三十六計」という言葉は出てきません。ただし、勝てない戦いを避けよという考え方そのものは、むしろ孫子の中心にあります。

謀攻篇には、敵との兵力差に応じた行動の原則が並んでいます※5。

敵との兵力差孫子の指示(原文)
十倍包囲する(十則圍之)
五倍攻める(五則攻之)
二倍敵を分断する(倍則分之)
互角戦う(敵則能戰之)
劣勢守る(少則能守之)
及ばない戦いを避ける(不若則能避之)

同じ謀攻篇には「是故百戰百勝、非善之善者也。不戰而屈人之兵、善之善者也」ともあります※5。百回戦って百回勝つのは最善ではない、戦わずに敵を屈服させるのが最善だ、という有名な一節です。

言葉としての「三十六計」は孫子と無関係でも、「不利なら戦わない」という思想は確かに地続きです。だからこそ後世、このことわざが孫子と混ざって記憶されたのではないか。これは出典のない筆者の推測ですが、そう的外れでもない気がしています。

兵法書『三十六計』の正体は、よく分からない

話はもう一段ややこしくなります。「三十六計」を看板に掲げた兵法書が、実際に存在するのです。通称『兵法三十六計』。全文が電子図書館ウィキソースで読めます※6。

構成は、勝戦計・敵戦計・攻戦計・混戦計・並戦計・敗戦計の六套に各6計、合計36計。「瞞天過海」「借刀殺人」といった四字の計略が並び、最後の第三十六計はそのものずばり「走為上」、逃げるを上策とする、です※6。つまりこの書物は、あの皮肉のことわざを最終奥義の位置に据えている構図になっています。

ところが、この本の素性を確かめようとすると急に霧がかかります。ウィキソースの本文には著者として檀道済の名が掲げられていますが※6、5世紀の武将の名がついた書物の実在を裏づける記録は、今回調べた範囲では見つけられませんでした。国語辞典・百科事典の類も、ことわざとしての「三十六計」は載せる一方、書物の『三十六計』にはほとんど触れていません※4。よく知られた古典だと思っていたものが、辞書の世界ではほぼ存在していない。これは調べていて一番意外だった点です。

調べても分からなかったこと

正直に書き残しておきます。

  • 兵法書『三十六計』の成立年代と作者。ネット上や一般書では「明末清初ごろの成立・作者不詳」と紹介されることが多いのですが、今回の調べでは、その説の一次的な裏づけとなる資料にたどり着けませんでした。檀道済作という表記も、伝承をそのまま掲げたもの(後世の仮託)とみるのが自然に思えますが、確証は得られていません。
  • 『孫子』謀攻篇の「少則能守之(少なければ守る)」は、「少なければ逃げる(逃之)」の形で引用される例も多く見かけます。版本による字の違いなのか、どの系統のテキストが「逃」なのか、今回は確認できませんでした。本記事は中國哲學書電子化計劃の本文「守」に従っています※5。

この2点は、信頼できる資料が見つかり次第、この記事に追記します。

まとめ:皮肉から日常語へ

「三十六計逃げるが勝ち」の来歴を並べると、こうなります。

  1. 5世紀末、逃げ支度をする皇帝父子への皮肉として記録される(『南斉書』)※2
  2. 正史『南史』にも同じ場面が載り、国語辞典はこちらを出典に挙げる※1
  3. 宋代の『冷斎夜話』に、すでに慣用句の形で登場する※4
  4. 成立のよく分からない兵法書『三十六計』が、この言葉を第三十六計に据える※6
  5. 現代日本で「三十六計逃げるが勝ち」として日常語になる

孫子は、最初から最後まで登場しませんでした。ただし「勝てない戦いはしない」という思想だけは、孫子の教えと確かにつながっています※5。逃げの決まり文句の系譜としては、孫子の権威を借りなくても十分に由緒正しい。次に逃げ出したくなったときは、名将・檀道済の砂の山を思い出しながら、堂々と逃げようと思います。

参考文献・出典

※1 : 「三十六計逃げるに如かず(サンジュウロッケイニゲルニシカズ)とは? 意味や使い方」 |コトバンク https://kotobank.jp/word/%E4%B8%89%E5%8D%81%E5%85%AD%E8%A8%88%E9%80%83%E3%81%92%E3%82%8B%E3%81%AB%E5%A6%82%E3%81%8B%E3%81%9A-513715

※2 : 「南齊書/卷26」 |ウィキソース(維基文庫) https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%8D%97%E9%BD%8A%E6%9B%B8/%E5%8D%B726

※3 : 「唱籌量沙」 |漢典 https://zdic.net/hant/%E5%94%B1%E7%B1%8C%E9%87%8F%E6%B2%99

※4 : 「三十六計(サンジュウロッケイ)とは? 意味や使い方」 |コトバンク https://kotobank.jp/word/%E4%B8%89%E5%8D%81%E5%85%AD%E8%A8%88-513714

※5 : 「孫子兵法 謀攻」 |中國哲學書電子化計劃 https://ctext.org/art-of-war/attack-by-stratagem/zh

※6 : 「三十六計」 |ウィキソース(維基文庫) https://zh.wikisource.org/wiki/%E4%B8%89%E5%8D%81%E5%85%AD%E8%A8%88

よくある質問

「三十六計逃げるに如かず」とはどういう意味ですか?

形勢が不利なときは、あれこれ迷うより逃げてしまうのが最上の策だという意味です。臆病のすすめではなく、身を安全に保って後日の再起を図れという教えとして国語辞典に載っています。

「三十六計逃げるが勝ち」は孫子の言葉ですか?

孫子の言葉ではありません。出どころは中国の歴史書『南斉書』王敬則伝にある「檀公三十六策、走是上計」で、5世紀末の故事に由来します。『孫子』の本文に「三十六計」という言葉は登場しません。

兵法書『三十六計』とはどんな本ですか?

36の計略を6つの状況に分けて解説した中国の兵法書で、最後の第三十六計がそのものずばり「走為上(逃げるを上策とする)」です。成立年代や作者はよく分かっておらず、南北朝時代の名将・檀道済の作と伝えられますが後世の仮託とみられます。