ラミィキューブとは何か:30点の壁と食い違う発明者の記録
「ラミィキューブって何?」と聞かれて、答えられませんでした。麻雀牌に似たタイルを使う、トランプのラミーのようなゲーム。そこまでは見当がついても、では麻雀ともトランプとも違う面白さがどこにあるのかが説明できない。それで公式のルールブックと販売元の情報を当たってみたら、このゲームの本体は、タイルでも数字でもなく、たった一行のルールにありました。ついでに「誰が発明したのか」を調べ始めたのが失敗で、こちらは資料を集めるほど話が合わなくなっていきます。公式サイトと受賞記録と通信社の記事が、揃って別のことを言っている。まずはゲームの中身から書きます。
ラミィキューブの本体は、場に出たタイルを誰でも自由に組み替えてよい、という一点にあります。
場に出たタイルは、全員の共有物になる
道具立てはごく単純です。イスラエルのレマダ社が出している公式ルールブックによれば、タイルは1〜13の数字が4色、各色2枚ずつで104枚。これにジョーカー2枚を足した106枚が全部です※1。日本では増田屋コーポレーションが「ラミィキューブ クラシック」の名前で扱っていて、2〜4人用・7歳以上、税込4,400円となっています※2。
各自14枚を自分のラック(手前に立てる細長い台)に並べ、これを最初に出し切った人が「ラミィキューブ!」と宣言してそのゲームが終わります※1。場に出せる組み合わせは2種類だけです。
| セットの種類 | 条件 | 例 |
|---|---|---|
| グループ | 同じ数字で色違いを3〜4枚 | 赤7・青7・黒7 |
| ラン | 同じ色の連番を3枚以上 | 青4・青5・青6 |
数字の1は常に最小として扱い、13の次に置くことはできません※1。ここまではトランプのラミーとほとんど同じで、正直なところ、この時点ではまだ何が面白いのか分かりませんでした。
違いは次の一行にあります。公式ルールブックは、場のセットの組み替え(Manipulation)を「ラミィキューブで遊ぶ上で最もエキサイティングな部分」と呼び、手番の終わりに正当なセットだけが残って余りタイルが出ないかぎり、場をどう並べ替えてもよいと定めています※1。
ルールブックが挙げている例が分かりやすい。自分のラックに青の3・5・6があって、青の4がない。ところが場には4が4枚そろったグループが出ている。そこで場から青4を引き抜き、青3・4・5・6のランとして並べ直す※1。
他人が出したタイルであろうと、場に出た瞬間から全員の材料になるわけです。
つまりラミィキューブの場は、誰かの陣地の集まりではなく、共有の作業台になっています。1980年にこのゲームがドイツの年間ゲーム大賞(Spiel des Jahres)を受賞したときの審査員の評も、そこを突いていました。規則へのささやかだが巧みな変更と、カードから駒への媒体の変更が、ラミィキューブに独自の輝きを与えた、と※3。カードは手元に隠す道具ですが、駒は場に置いて動かす道具です。媒体が変わったから場を共有できるようになった、という順序で読めます。
もっとも、共有の作業台は放っておくと収拾がつかなくなります。公式ルールでは1手番1分の制限時間があり、超えた人は山から1枚引いて手番終了。組み替えに手をつけたものの1分で完成できなかった場合は、場を元の配置に戻し、出したタイルを引き取ったうえで、罰として山から3枚引きます※1。壮大な組み替えを試みて失敗する人のための罰則が最初から用意されている、という一点に、このゲームの性格がよく出ています。
「30点の壁」は初手のおよそ半分
ここまでが楽しい話で、実際に遊び始めた人が最初にぶつかるのは別の壁です。そのゲームで最初にタイルを出すとき(初回場出し)には、合計30点以上のセットを、場のタイルを使わず自分の手持ちだけで作らなければなりません※1。これを越えられない間は、毎手番ただ1枚引くだけで終わります。
では、配られた14枚でいきなり30点を出せる手は、どのくらいあるのか。調べても数字が見当たらなかったので、自分で数えました。106枚から14枚を無作為に配り、その14枚だけで作れるセットの合計点の最大値を全探索で求め、30点以上かどうかを判定する。これを20万回繰り返した結果が次の表です。
| 初手14枚で作れる最大点数 | 割合 |
|---|---|
| 0点(1セットも作れない) | 21.5% |
| 1〜9点 | 7.2% |
| 10〜19点 | 9.9% |
| 20〜29点 | 11.6% |
| 30〜39点 | 22.8% |
| 40〜49点 | 8.8% |
| 50〜59点 | 6.9% |
| 60点以上 | 11.3% |
30点以上に届いたのは49.8%、最大点数の平均は28.4点でした(試行20万回、95%信頼区間は±0.3ポイント以内)。初回場出しは、初手ではほぼコイン投げです。出せなくても運が悪いわけではなく、半分はそういう手になる。なお初手が14枚なのは人数によらないので、この確率は2人でも4人でも変わりません。
意外だったのはジョーカーの効き方でした。
| 手札のジョーカー | 出現率 | 初手で30点を出せる割合 |
|---|---|---|
| 0枚 | 75.3% | 35.2% |
| 1枚 | 23.0% | 94.1% |
| 2枚 | 1.6% | 100% |
106枚に2枚しかないタイルが1枚あるだけで、35.2%が94.1%に跳ね上がります。ジョーカーは万能札というより、序盤の入場券に近い。しかも公式ルールブックの戦略欄は、ジョーカーを手札に残しておくのも良い手だと勧めています。ただし他の人が上がった瞬間に持っていると30点の罰点を食らう、という但し書きつきで※1。
同じ戦略欄には、序盤は展開が遅く感じられるが場が育つほど打てる手は増える、だから序盤はタイルを抱えて他の人に場を開かせるのがよい、とも書かれています※1。出せることと出すべきことは別だ、という話です。半分の確率で越えられる壁を、あえて越えないでおく判断がある。数えてみて初めて、この助言の意味が分かりました。
発明者の記録が、資料ごとに食い違う
さて、冒頭で触れた話です。このゲームを作ったのはルーマニア生まれのエフライム・ハーツァーノだ、というところまでは、どの資料も一致しています。製造元はイスラエルのアラドにあるレマダ社で、ルールブックの奥付にも住所と「Made in Israel」が入っています※1。問題はその先で、いつ、どこで、なぜ生まれたのかが揃いません。
| 資料 | 誕生の時期 | 生まれた理由 | イスラエルへ渡った年 |
|---|---|---|---|
| Rummikub公式サイト※4 | 70年以上前のルーマニア | 共産政権下でトランプ遊びが禁じられたため | 1940年代 |
| Spiel des Jahres(ゲーム紹介)※5 | 1920年代前半のルーマニア | トランプ独占税を回避できたため | 記載なし |
| Spiel des Jahres(1980年受賞ページ)※3 | 1930年代初頭(本人の主張) | 記載なし | 1951年 |
| JTA(1994年・息子への取材)※6 | 記載なし(既存のルーマニアのゲームを改変) | 記載なし | 1950年 |
公式サイトの筋書きはこうです。ハーツァーノは歯ブラシや化粧品を売って生計を立てていた人物で、トランプ遊びが禁じられたルーマニアで、カードの代わりにタイルを使う合法な抜け道としてこのゲームを考えた。1940年代に一家でイスラエルへ移り、バト・ヤムの自宅の裏庭で最初のセットを作った※4。
ところがドイツのSpiel des Jahres公式サイトは、ゲーム紹介のページで別の理由を挙げています。「このゲームは1920年代前半のルーマニアで生まれた。木の駒によるカードゲームなら、トランプの独占税を回避できたからである」※5。禁止令ではなく税金であり、時期も20年ほど早い。
さらに同じサイトの1980年受賞ページには、彼が1913年にルーマニアのヘルツァでフリードリヒ・ヘルタヌとして生まれ、1951年に改名して一家でイスラエルへ渡ったこと、そして「ラミィキューブは1930年代初頭にすでに開発し、1974年にニュルンベルクの国際玩具見本市で発表したと彼は主張している」ことが書かれています※3。ここで使われているドイツ語は、話者の主張であって書き手は保証しない、という距離の取り方をする言い回しです。受賞ページ自身が、断定を避けている。
いちばん踏み込んでいたのは、ユダヤ系通信社JTAが1994年に息子ミハ・ハーツァーノへ取材した記事でした。それによると、ラミィキューブは1950年、ルーマニアから移住したエフライム・ハーツァーノによってイスラエルに持ち込まれた。テルアビブの質素な自宅の台所で家族用のゲームとして手を入れ始め、「彼はそのルーマニアのゲームを取り上げ、木の駒を加えた。さらに自分なりのルールも加えた」※6。
息子の説明では、父はゼロから発明した人ではなく、既にあったゲームを組み替えた人ということになります。そして手元の公式ルールブックの著作権表示は「© 1950」でした※1。1930年代でも1920年代でもなく、JTAが言う移住の年と一致しています。
ちなみに、このゲームがアメリカで跳ねたきっかけも同じ記事に載っていて、こちらは日付がはっきりしています。1977年のある日、コメディアンのドン・リクルズが『トゥナイト・ショー』に出演した翌日、オフィスの電話が鳴り止まなくなった※6。1994年時点で年間およそ60万個が34か国で売れていたといいます※6。1986年にはオランダで、現地の輸入元が競合他社を相手取って起こした訴訟が認められてもいます※3。作者が誰かという問いは、賞の対象としても裁判の対象としても、繰り返し表に出てきた問題でした。
調べても分からなかったこと
誕生の年を絞り込めませんでした。1920年代前半、1930年代初頭、1940年代のどれかで、しかも生まれた理由がトランプ独占税の回避なのか共産政権下の禁止令なのかで割れています。制度としての独占税や禁止令がルーマニアでいつ効力を持っていたのかを一次資料で確かめれば、消去法で範囲を狭められるはずですが、そこまでは手が届きませんでした。
1986年のオランダの訴訟についても、判決文そのものには届いていません。何が争われ、どこまでが認められたのかが分かれば、作者性をめぐる論点の中身が見えるはずです。分かったら追記します。
まとめ:このゲームの由来自体が、ラミィキューブ的だった
道具はタイル106枚、覚えるルールは2種類の組み合わせと30点の下限だけ。それだけの単純さで、場が育つほど難しくなるゲームが成立している。仕掛けは、出したタイルの所有権を手放させたことに尽きます。
その由来を追いかけて面白かったのは、発明の物語そのものが、このゲームの構造とよく似ていたことです。誰かが場に出したものを、次の誰かが引き抜いて自分の並びに組み込む。ルーマニアの誰かが始めたゲームを、ハーツァーノが木の駒と自分のルールで組み替え、それを1980年のドイツが再発見して世界に広げた。ここは筆者の意見として言い切りますが、このゲームに単独の発明者を求めるのは、たぶん問いの立て方のほうが間違っています。
そして実用面では、ひとつだけ確かなことが分かりました。初手で30点を出せないのは、あなたのせいではありません。半分はそうなります。
参考文献・出典
※1 : 「Assembly instructions: 2-4 players, ages 7 to adult(Rummikub公式ルールブック)」 |Rummikub(Lemada Light Industries) https://rummikub.com/wp-content/uploads/2019/12/2600-English-1.pdf
※2 : 「ラミィキューブ クラシック - ゲーム&バラエティー - 増田屋コーポレーション」 |増田屋コーポレーション https://www.masudaya.com/variety/toys/1-01.html
※3 : 「1980: Rummikub von Ephraim Hertzano」 |Spiel des Jahres https://www.spiel-des-jahres.de/1980-rummikub-von-ephraim-hertzano/
※4 : 「History - Rummikub」 |Rummikub(Lemada Light Industries) https://rummikub.com/history/
※5 : 「Rummikub」 |Spiel des Jahres https://www.spiel-des-jahres.de/spiele/rummikub/
※6 : 「From Romania to Israel to the Rhine: Rummikub Makes Waves Among Devoted」 |Jewish Telegraphic Agency https://www.jta.org/archive/behind-the-headlines-from-romania-to-israel-to-the-rhine-rummikub-makes-waves-among-devoted
よくある質問
ラミィキューブとはどんなゲームですか?
1〜13の数字タイルを使い、手持ちの14枚を最初に出し切った人が勝つゲームです。同じ数字で色違いの3〜4枚(グループ)か、同じ色の連番3枚以上(ラン)を作って場に出します。最大の特徴は、すでに場に出ているタイルを誰でも自由に組み替えてよいことで、手番の終わりに場のすべてが正しいセットとして成立していれば、他人が出した並びを崩して自分のタイルを差し込めます。
ラミィキューブの「30点」とは何ですか?
そのゲームで最初に場へタイルを出すとき(初回場出し)に必要な、合計点の下限です。タイルの点数は数字そのままで、合計30点以上のセットを、場のタイルを使わず自分の手持ちだけで作る必要があります。ジョーカーは代用した数字の点数として数えます。この条件を満たせない間は、毎手番タイルを1枚引くだけで終わります。
ラミィキューブは誰が発明したのですか?
ルーマニア生まれのエフライム・ハーツァーノとされていますが、誕生の時期は資料ごとに食い違っています。Rummikub公式サイトは共産政権下のルーマニアで70年以上前としており、ドイツのSpiel des Jahresは1920年代前半のルーマニアで生まれたと書く一方、本人は1930年代初頭に開発したと主張していたと記しています。息子への取材では、父が既存のルーマニアのゲームに木の駒と独自ルールを足したと説明されています。